王朝の花咲く雅の布「花織」
日本で唯一の亜熱帯の島・沖縄は、その昔、アジアの国際交易の拠点国として独特の王朝文化を生み出してきました。それは、争うことをすてた平和と雅を尊ぶ文化であり、その文化は多くの華麗な工芸品をも生み出し、悠久の時を超えて現代に継承されています。「花織」もそういった沖縄の琉球王朝・大交易時代の流れの中に花咲いた逸品なのです。
祭事や芝居の晴れ着
知花花織は王府の貢布の対象となっていなかったことから自由な意匠で作ることができたといわれ、旧暦の8月14日のンマハラシー(馬乗り競争・男の祭り)や、 8月15日のウスデーク(臼太鼓・五穀豊穣を願う女性の祭り)など祭事や奉納舞踊の晴れ着として地域の人々に愛されてきました。
脚光を浴びた織物
第二次世界大戦で沖縄が壊滅的な被害を受けると、その技術は歴史の片隅に埋もれてしまいました。しかし、知花花織は行政の支援を受けその技術を堀おこしました。
花織の技術技法の保存や継承をするだけではなく、ビジネスシーンやインテリア製品などの生活小物も製作するなど、意欲的に生産活動に取組んでいます
臼太鼓
手織った花は神々への贈り物
「臼太鼓(ウスデーク)」は五穀豊穣を願う女性の祭りです。知花地域(沖縄市)では旧暦の8月15日に知花花織の着物を身につけ、ウスデークの奉納舞踊が行われます。
通常は大切に保管されている「ワタジン」と「ドゥージン」と呼ばれる衣装を着用し、臼太鼓を叩きながら唄と舞踊を披露します。
ウスデークは今なお花織のルーツを体験できる知花地域に伝わるいにしえの祭祀なのです。
ンマハラシー
馬乗り競争・男の祭り
「知花花織」は旧暦の8月14日のンマハラシーの晴れ着としても地域の人々に愛されてきました。
スピードではなく、走る姿勢や優雅さで勝敗が決まる琉球競馬「ンマハラシー」の起源は300年前とも言われ、庶民の娯楽として沖縄中に150以上もの馬場と呼ばれる会場があったそうです。